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大きさ:10.5cm×15cm大須賀理恵・その1大須賀理恵・その2大須賀理恵・その3大須賀理恵・その4大須賀理恵・その5大須賀理恵・その6大須賀理恵・その7 ♪ 大須賀 理恵 プロフィール ♪ 横浜で、社交ダンスが、御縁で結ばれたパパとママの間に長女として生まれました。
幼稚園の時バレエを習い始めましたが、クラスに絵のうまい、ミドリちゃんという女の子が出現。
「何で、私のところには、みんな、絵を描いて!」と来ないの?うーん、絵がうまくなりたい、「私を、おえかき教室に入れて!」と、母にたのみ、絵の世界に足を踏み入れた理恵でした。
そこで、出会った先生が、とても楽しい先生で、幼稚園児に油絵やガラス絵まで体験、美術館に作品を展示してくださったり、幼稚園内で開催の教室にしては、幅広ーい体験をさせていただいたのである。
時々、先生が手伝ってくれる事もあり、花瓶のお花を描いていたら、バックがステンドグラス風になっていたりと、びっくり、楽しくなりました。
将来は絵描きさんになろうと思い、ひたすら、自宅でも描きまくり、運動、外遊びはひたすら、さけていました。
この頃から外遊びに関心がなくなり、絵を描いているから、と絵を描くことを外遊びを断る口実にしていたのも事実です。
そして、母が心配で味噌汁にバターを入れる程、ガリガリだった体型も変化していった。
動作はしだいにゆっくりに・・・。
小学2年までは公立小で給食が食べられず(野菜系がだめ)、問題に。
小学3年よりキリスト教系の女子校に編入。
お弁当になり、給食地獄より、解放された。
初期の理恵の作品に食べ物のモチーフが多いのは成長過程のいろいろな体験がまとわりついているように思う。
小学校では自由帳というノートを作り、「ブーターマン」というマンガを連載していた。
中学では、私の体もスポットライトを浴びたいと思い、演劇部へ。
中3から高1の間は顧問の先生の追っかけもしていました。
中学の1年の頃、週刊マーガレットに連載中だった、「ベルサイユのばら」にはまり、雑誌に似顔絵を投稿したら、掲載され、大変、うれしかったです。
その後、自分の体の太さは忘れて、女優になりたいと、思いはじめました。
演劇部は高2まで所属、高1の頃は舞台美術もいっしょうけんめい取り組んでいた。
演劇は総合芸術というところが、すばらしいと思った。
高2の時、演劇コンクールに役者として参加。
自分が出そうと思っている声(セリフのトーンや言い回し)と実際に出ている声が違っていて、なかなか直せなくて、少し落ち込みました。
でも、進路は美術でなく、演劇方面に行きたかった。
親は美大希望・・・・で、「演劇科に進んだ先輩に相談してみろ!」と言われたが、気の小さい私は行けなかった。
演劇部の顧問の先生には「人には向き、不向きがあるからねぇ〜」と言われました。
そして、少し、悩んで、美大に行って部活で演劇を続けるという選択にいたり、もう受験も手後れとの声もありましたが、高3になる、春休みから近所のお絵描きの先生の紹介で毎日、お茶の水の予備校に通いました。
受験科はグラフィックとか考えてましたが、お絵描きの先生に相談した時に、デザイン科に行った人で後から絵を習いたいと言っている人が多いので、あなたも先に絵画科に行ったほうが良いと言われ、絵画科受験にしました。
予備校では、夜の強化クラスというところで、多浪生にもまれ・・・現役は最初、3人だけ、帰りの電車内で、あぶないおじさんに、ちょっかい出されながらも、たくましく、受験生を続け、若い、芸大の大学院生の先生とお会いするのを楽しんだり、友達と電車で帰ったり、楽しみもいろいろありました。
何だかんだで、造形大という、当時、高尾の山奥にありました、美大に20倍の狭き門をくぐり、合格。
当時は少人数でこじんまりとした学校でした。
そこで、入学と同時に、演劇部に入り、いろいろな出会いもあり、泣いたり、笑ったり、舞台に立ったり、2年の途中まで楽しんでおりました。
1年の時、同じ演劇部の中で、現主人とも出会いました。
その後は絵、ひとすじ。
油絵を描いて入学しましたが、フレスコ(壁画の個展技法)の実習から、フレスコゼミを作るという、友人女子達に加わって、男子2人女子4人のフレスコゼミで卒業まで活動することになりました。
もともと、水彩好きな私に、下絵を作り、漆喰の生乾きの壁に水と顔料のみで部分的に仕上げていく、フレスコ画はあっていました。
この時、アイルランドの聖書の写本、「ダロウの書」など、中世初期キリスト教美術、ペルシャの細密画・・・といろいろな世界を知り、理恵の世界を作っていったように思います。
そして、卒業。
フレスコの友人達は、芸大の壁画科の大学院をめざしましたが、ここは、きっぱり、教育実習でめざめた、中学教員試験に挑戦、通信教育などで準備を進め、合格。
採用の春は初めての花粉症に悩まされましたが、無事、中学校教諭となりました。
生徒とは年も近く、当時、写真など見ると、高校生のようでした。
美術の授業では子供達と仲良く、個性を大事にして、自分の力をできる限り出せるような指導をしてきたこと、今でも誇りに思ってます。
6年だけの、お勤めでしたが、今でも時々、思い出してメールをくれたり、美大に進学した教え子も何人かいて、心のささえになっています。
先生になった時、「先生になると、個人の制作をやめてしまう人が多いので、がんばって制作してね!」と声をかけてくれた、先輩美術の先生がいました。
いっしょに海外、国内の公募展に応募したり・・・。
その取り組みがなかったら、今、こんなに続いているという事もなかったと思います。
当時は月に1〜2回コンペに応募してました。
そんな中、日本グラフィック展で佳作になったり、神奈川新聞の壁画コンクールでも入選しました。
神奈川県展でも、怪しい人物とラーメンなど描いて、話題になったこともありました。
そんなある日、大学の時より、毎年開催していた、五人展(女子)に、当時、私の追っかけしてくれてた、医大生で画家の青年がやってきました。
彼とは大学の時、神奈川青年美術展で一緒に準大賞をとった仲だったが、会話をしたのは、五人展の会場が初めてでした。
その後、彼がイラストレーター4名も含むグループ展を企画、私も参加することになり、イラストレーターと出会い、イラストレーターになってみたいという気持ちが芽生え、今につながります。
その後、アニメのビデオ作品の制作も始り、TV番組のディスプレイを単発でやったり。
そして、フリーのイラストレーターになると言って、先生をやめました。
「おいしい靴下」というビデオ作品では、たくさん賞をいただき、NHKの衛星放送開始の頃、1年ぐらい、夜遅く、流れていました。
その後、平面の仕事以外にディスプレイ、映像作品制作、お皿の絵付けなどしました。
代表作はNHKみんなのうたで流れた、たまの歌「そんなぼくがすき」のアニメーションのイラストです。
キャラクターデザインの他、動きの原案も考えました。
今でも時々、キャラクターデザインの仕事はしています。
現在、9才違いの娘が二人いますが、子供が生まれたことによって、イラストのキャラクターも変化してきました。
それまで、違和感のあった、ふつうの人物も、抵抗なく、自分のタッチで表現できるようになりました。
では、これからも、大須賀理恵を応援してください。
よろしくお願いいたします。
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Rakuten International Shipping Item (Since the end of June 2008)Details click here楽天ならずネット初登場☆イラストレーター大須賀理恵オリジナルポストカードシリーズその3各作品エピソードをここだけでご紹介しちゃいます♪大須賀さんからいただきました☆ココだけの話☆【ハムスターの帽子】長女が小さい頃、ハムスターが主人公のアニメが、流行りました。
ハムスターは、ひまわりの種が、お好き。
と、いう事で帽子の中にハムスターと、ひまわりの種。
長いこと、絵を描いていると、今度は何を描こう・・・と、悩む時もあります。
私って、いったい何?自分がおもしろくない絵は描きたくないし・・・。
いろいろ悩みながら、内容を決めていった記憶があります。
【きのこの傘】2007年夏、津波(2004年スマトラ地震)で大変だった、プーケットに行きました。
本当は津波の直後にプーケットへの旅行の予定を入れていた、我が家です。
あと数日早く、津波がきていたら・・・。
大変な事になっていたでしょう。
宿泊した、ホテルの中庭に池があり、毎日、同じ場所にこんな感じのカエルがいました。
右下の謎の生物は、おたまじゃくしの「おたまちゃん」です。
住宅関係の仕事で、いつものカエルファミリーにNEWキャラ、おたまちゃんが加わりました。
ホテルの庭に、子供達のために、子供の像が遊びにきてくれました。
そんな旅の思い出です。
【きのこの森で】植物をテーマとした、グループ展に参加した時の作品です。
ドーナッツ屋さんで、出品作を考えつつ、ノートにボールペンを走らせていたら、わーっと、わき上がってきた、絵です。
・・・・でもって、自分でも気に入ったので、そのまま進行。
ラフはボールペンか、濃いめの鉛筆で柔らかい紙に描く事が多いですね。
自分の中の、もうひとりの自分が描いてくれた感じです。
♪VENTはこんなお店です♪ セレクトショップ・生活雑貨の店。
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